こんにちは。よっちです。


よっちはマイホームを建てるのは、この一条工務店i-smartで2回目です。どうして木造の一条工務店、そしてi-smartを2回目の家として選んだのか。そこには確固たる理由があります。でもそれを語るには先に1回目の家の話をしないわけにはいきません。そこで今日から2回にわたって20年程前に建てた1回目のマイホームの事を書きたいと思います。


マイホームを計画中の方のほとんどは一条工務店i-smartの名前を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
とはいえ、住宅に興味のない方、別エリアの方には全く縁のない名前かもしれません。


よっちは一条工務店の地元浜松の隣の愛知県が地元ですので、随分前から一条工務店の名前は知っていました。よっちが就職活動をしていた学生の頃、住宅産業はどんなんかな~って事で3社ほど資料を集めたことがあります。セキスイハウス、ミサワホーム、そして一条工務店です。ざっと30年くらい前の話です。当時の企業紹介パンフレットの印象では、なんというか「昔ながらの工法の和風の家を建てているまじめそうな会社」というだけの印象で、他2社ほど華やかなイメージはありませんでした。それでも数あるハウスメーカーのうちの3社に入っていたのですから、学生時代のよっちにすら何か感じる部分があったのでしょうね。

将来の少子高齢化がその当時からすでに言われていましたので、いずれ土地が余る、家も余る時代が来るのかもしれないとの一抹の不安から結局は住宅産業はスルーして別の業界に入りました。でもこれが一条工務店との最初の接点でした。


次にかかわったのが恐らく一回目の家を建てる時です。よっちはバブル景気の恩恵をギリギリ受けた最後の世代なんじゃないででしょうか。親から相続する予定の土地に貯金&借金で家を建てる計画をしていました。計画当時よっちは26歳。知人の一級建築士さんと一緒に住宅展示場回りをして、こんな感じ、こんな間取りがいいかななど、ついてくる展示場の営業さんを尻目に勝手に間取り、内装などを参考にさせてもらったことがあります。その時ハウジングセンターにあった展示場はほぼ全て回ったはずですので一条さんも見ていたはずです。あいにく印象には残っていませんでしたが・・・。これが2回目のかかわりです。


よっちはその後、熱心で緻密な設計士さんの計画でもって、素晴らしくかっこいい住宅を手に入れました。若干27歳の若造がです。実際に作業に当たった大工の熟練棟梁が言っていたことが印象的です。「設計図通り作るだけでこれ程きっちりおさまる家を建てたことがない。大抵はどこかつじつまが合わなくて現場合わせで我々が何とかするもんなんだが」と。

しかし建てたまさにその年に、その場所に道路が通る、つまり立ち退きになる場所だということが判明しました。素晴らしくかっこよく大工も褒める緻密な設計の家を手に入れたばかりのよっちにそのニュースはあまりにもショックでした。設計士さんも相当ショックだったろうと思います。

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築18年頃の旧よっち宅


道路の計画は地主である父のところに文書ですでに告知されており、意見期間はとうに過ぎていました。完全に計画が決まってしまった状態でした。12年後に完成予定の区画整理工事でした。

計画があるなら建築申請を通すなよ!って思うわけですが通ってしまうようなのです。公に道路計画の告知をする前にそういった申請などで情報が洩れてしまうと故意に土地を押さえられたりとか計画遂行の妨げになることがあるからだとの説明でした。

よっちはショックではあったけれど、数年暮らしているうちに「逆に言えばその頃にまた建て替えられるんだ」と前向きに思えるようになりました。

そして年月が経ち、当時のよっち宅もなんだかんだで修繕が必要になり一人目の子供誕生に合わせてプチリフォームをしてみたり給湯器が寿命を迎え直すのにけっこうな修繕費がかかったりしていました。住んでみてわかる不便、こうしときゃ良かったな、でも近い将来立ち退きなんだから今更どうしようもないな、鉄骨は寒いな、吹き抜けは掃除できないな、部屋が広すぎると冷暖房全く効かないな、壁紙って自然に破れてくるんだな、外壁って塗り替えが必要なんだな、ウッドデッキは真っ黒に風化するんだな・・・などなどなど。年月をかけていろいろ勉強(反省)する機会を与えられたわけです。

勘違いしないでくださいね。旧よっち宅の設計士さんにケチつけているわけではないのです。20年くらい前に建てた住宅とは思えない斬新なデザインは近隣で評判になりました。「へぇ~あの素敵な白い家の人なの?家の中いったいどうなっているの?」と何回か聞かれた事もあります。その時の若造の誇らしげな気持ちを想像してみてください(* ̄∇ ̄*)エヘヘ   若いときに素敵なデザインの家に住むことはステイタスでした。それに今となっては2回目を建てる際の住宅の基礎知識を得るきっかけにもなったわけです。充分感謝しています。その気持ちがあって写真はボカシを入れさせてもらっています。

色々なデザインコンペで何度も賞を貰っていた新鋭の建築家です。外観はもちろん、間取りも普通ではありませんでした。住宅の知識など当時のよっちはこれっぽっちも持ち合わせていませんでしたので、的を得た要望を出す事も出来ませんでした。設計士さんから「何か要望は?」と聞かれても、「20年後でもカッコいいと思える家にして欲しい」と伝えただけでした。ですので実質デザインや仕様はほとんどお任せになっていました。特徴的なのは勾配天井の27帖の居間で、広々して、明るく、風通しもよくデザイン的には申し分のない家で大変気に入っておりました。

しかし大きな弱点が潜んでいました。それは断熱性です。当時のよっち宅の断熱性能が今日言うところのQ値でどの程度かはわかりません。立ち退きで家を解体した時に壁の中に10cm厚くらいのグラスウールが入っていたことはこの目で確認しています。でも断熱性能は全く足りていなかったのだと思います。バブルな時代を経験してきた社会そのものが、省エネ性能よりも見栄え、デザイン重視の傾向にあったのだと思います。その後次世代省エネ基準により最低限の断熱性能を求める動きがでてきましたが、それよりも前に建てられた家なのですから時代背景をみても仕方がなかったのだと思います。

次回は足りていない断熱の住宅ではどんな生活だったのかをお話ししたいと思います。